★ バイオリン
・「自由に演奏できる環境を求めて」 卒業生 和田明佐美.さん

★ ギター

・「インターハイスクールでシッカリ留学の準備ができた」 卒業生 T.S.さん
★ グラフィック
・「苦しさをプラスに転じ、いまはアートに夢中」 卒業生 E.S.さん

バイオリンを自由に演奏できる環境を求めて 卒業生 和田明佐美さん

明佐美さんは3歳からバイオリンを始め、付属音大のある私立高校に進学しました。高1の終わりに海外のコンクールにも自由に参加できる環境と、思う存分練習時間を確保できる学校を求めてインターハイスクールに入学しました。(インタビュー:学生部大槻)


大槻(以下:大):音楽の設備や人材に恵まれた学校から、当校に入学するのは勇気のいる行動だったと思います、入学して環境は変わりましたか?

明佐美さん(以下:明):インターハイスクールの事はHPで検索して見つけました、こんな自由な学校があるんだと驚いた事を覚えています。前の学校では時間の余裕がなく出来なかったアルバイトや、学習とバイオリンの練習時間を確保することができ、コンクールで海外にいる間も学習を継続でき世界を拡げることできました。

大:在学中はどんな学習をしましたか?

明:世界史の勉強では歴史好きのおばあちゃんによく話を聞きました。今世の中で起っていることの政治的背景に詳しく、本を読むだけではない良い学習になりました。

テーマ学習ではバイオリンの先生からの勧めで「ソルフェージュ」のテキストを進めました、例えば「ドルチェ」と楽譜に書いてあってもブラームスとモーツアルトのそれとは優しさが違います、時代背景や作者の気持ちなどを理解する必要があるのです。

photo11実務教育は「働くって大変!」と実感したアルバイトです。朝のシフトに入っていたので急いでいるサラリーマンにレジが遅いとイライラされたり(笑)でもこれも良い経験でした。

大:スカラシップを頂いたシンガポール国立大学からは11歳のとき既に声をかけらていたと聞きました。

明:チャイルドエイドアジア(http://www.childaidasia.com/)の第一期生に選ばれシンガポールで演奏した時「16歳になったらまた来てほしい」と声を掛けて頂きました。正式な合格発表の前に先生からメールを頂いた時には本当にうれしかったです。

大:大学での生活楽しみですね。

明:本当に楽しみです。寮は一人部屋でスタジオまで行かなくても部屋で練習できます。平日は理論や教養も学び土日はオケとの練習やコンサートに出席することになりそうです。
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将来は、演奏後に心に何か残るようなアーティストになりたいとのことでした。ありがとうございました。

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「インターハイスクールでシッカリ留学の準備ができた」 卒業生 T.S.さん

先輩の演奏に感動。それが僕のギターの原点

僕はいま、ボストンにあるバークリー音楽大学に留学中です。ボストンは、松坂や岡島が所属するレッドソックスの本拠地として有名ですが、ハーバード大学やバークリー音楽大学も世界的に知られていて、バークリーには世界各国(僕の知る限りでは45カ国!)から音楽を本格的に学ぼうと大勢の若者が集まってきています。その数ざっと3,900人。4年制の学校なので単純計算だと1学年約1,000人ということになりますが、実際には退学者も含めると毎年1,500〜2,000人の生徒が入学していようです。  僕は4年生の最終学年です。バークリーでは、一般教養も履修科目に含まれている学位と4年間音楽だけを勉強する卒業資格があり、僕は学位プログラムの4年生です。  僕とバークリー音楽大学の接点は小学生のときからです。日本の大学で歴史学を教えていた父がハーバード大学で仕事をすることになり、家族でボストンに移住して大学の家族寮で暮らしていたのですが、寮のとなりがバークリー音楽大学でした。子供心にもバークリーの名は深く心に刻まれました。また中学生になって通った地元のギター教室の先生もバークリー出身、高校から通い始めた都内の音楽教室のギター教師もバークリー出身で、どういうわけかバークリー音楽大学と縁がありました。  中学の文化祭で先輩が、ギターを演奏したその姿がかっこよくて…。「あんな風になりたい!」と思い、すぐにアコーステックギターを買いギター教室に通うようになりました。この文化祭での感動が、僕のギターの原点です。

インターハイスクールのおかげで じっくり留学の準備ができた

高校は進学校に行きましたが、平日は地元のギター教室、土・日曜日は都内のギター教師の下へと通いながらバンド3つかけ持ちでライブハウス演奏するなど、学校以外で多忙な毎日でした。
ギターを続けるうち「バークリーに留学したい」と思うようになり、受験一辺倒の高校が嫌で父親が「辞めてもいいぞ」と言ってくれたのを切っ掛けにインターハイスクールインターハイスクールへの編入を考えました。インターハイスクールを訪問して理事長の人柄や、柔軟な学習システムを両親も僕も大変に気に入り入学を決めました。
インターハイスクールでは前籍校で修得した単位を振り替えます。僕のケースでは、卒業に必要な単位が残り僅か3単位だったので時間と気持ちに余裕ができました。バークリー留学に必要な音楽理論と受験のギター演奏方法などを十分に学習できました。留学準備のための学習と活動はギター教室での練習時間も含めて全て卒業単位になったので効率よく充実した学習ができました。
「ワシントン州の歴史」という課題は、アメリカ音楽史という切り口で勉強して博学になったし、その他の学習も担任(学習コーチ)が「それでいい」とか「こうしたらどう」など、具体的に個別指導をしてくれました。

バークリー卒業後は ロスで本格的な音楽活動

インターハイスクール卒業後直ぐにマサチューセッツ州ボストンに渡米、先ず語学学校で英語を更に勉強してから念願のバークリー音楽大学に入学しました。
今やっている音楽は、日本のロック、アメリカンハードロックのミックスに、バークリーで学んだジャズなどのジャンルをうまくクロスオーバーしたものです。作詞作曲もやります。ギター以外はコンピューターで音をミックスしてデモCDを演奏者に配り、その後仲間と生演奏をします。みんな音楽が大好きですから集まると直ぐに「ジャム!」とすぐに演奏が始まり、仲間と楽しくやっています。
今年5月に卒業を迎えます。卒業後はLAに拠点を移し本格的な音楽活動に従事するつもりです。LAは音楽活動をするにはベストの環境です。紹介が物を言う業界ですから、バークリーのネットワークを最大限利用してオーディションをバンバン受けるつもりです。
 
<担任(学習コーチ)からひと言>
入学当初から、留学して将来ギターリストとして活躍するという夢を持っていたTSくんです。ギターとその他の学習を両立してインターハイスクールの高卒資格を取得しました。ジミーヘンドリックスをワシントン州史にからめたレポート、ブルースミュージックの歴史など、音楽を中心に米国史を学びました。実務科目の提出物は自身が作曲したCDを制作して、ユニークな学習成果を出せたと思います。プロの世界は厳しいけれどTSくんなら大丈夫です。

専門分野を目指す

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T.S.さんは小さい頃から音楽が大好きで中学の時にギターに夢中になりました。
高校は進学校へ進みましたが受験勉強と好きな音楽の両立が難しくなり、大学教授の父親のサポートもあってインターハイスクールに編入しました。
この頃すでにアメリカのバークリー音楽大学へ進むことを目標にしていたようです。
前籍校の全単位を振り替えたので、編入先のインターハイスクールでは時間と精神的な余裕を持って留学準備のために音楽理論の勉強やギターの練習を思う存分できたようです。
大好きな音楽を中心に学習して、念願のバークリー音楽大学に進学しました。

担任(学習コーチ)よりのコメント

入学当初から将来留学して世界レベルのギターリストとして活躍するという夢を持っていたT.S.さんです。 ギターの練習と勉強を両立しながら卒業して志望校に進学しました。
アメリカ史をジミーヘンドリックスやブルースミュージックから観える音楽を中心に学習しました。 実務科目の成果物は、自身で作曲したアルバムでした。

T.S.さんの学習履歴

T.S.さんは高校2年までを日本の普通高校、高3時にインターハイスクールに編入しました。卒業に必要な履修単位が3単位と少なかったため、インターハイスクールでは留学準備のための学習時間を多く取りました。約6ヶ月で米国ワシントン州公認高卒資格を取得し、ボストンの英語学校で勉強してからバークリー音楽大学に進学しました。

学習履歴


主な単位履修例は

A)ワシントン州出身の天才ギターリスト・ジミーヘンドリックスを通してワシントン州史を学習、米国北米史単位を履修
B)ブルースから見るアメリカ史、米国史単位を履修
C)バンド、音楽活動、実務科単位を履修。

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「苦しさをプラスに転じ、いまはアートに夢中」 卒業生 E.S.さん

受験のためだけの勉強が 息苦しく感じられて

photo11
 私の父は絵を描くのが趣味で、幼かった私を車に乗せ景色のいい場所に出かけて行っては鉛筆や色鉛筆で風景画を描いていました。だから、私も自然に絵に興味を持ち、小学生のときは絵画教室に通い、美術館によく出かけました。 
 私は中学受験で中高一貫校の女子校に進学して、中学の時に旺文社が主催する絵画コンクールで大林組賞を受賞しました。この賞で自分の絵に少し自信がつき、高校では美術部に所属していました。その頃から「美大に行きたい」と考え、美大受験専門の予備校にも通い始めました。
 美大受験のための予備校は、合格するためのテクニックを身につける授業が繰り返さればかり…、自分が描きたいスタイルとはかなりの違いがあり、次第につまらなくまってしまいました。「このまま受験勉強に追われ、予備校では美大合格のための絵を描き続けることがはたして私の将来にとって...?」そんな思いが募って学校をやめました。高校3年生の夏のことです。

インターハイスクールで自分自身と自由を取りもどした

絵を描くこと以外に、すごく好きなことがあります。それは、英語です。小学校では勉強が嫌いだった私ですが、中学に入って初めて学んだ英語はとても新鮮で、すぐに興味を持ちました。学校に英語を教えにくる外国人の先生の英語教室に出席したりして、英語を勉強するうちに「外国に行ってみたい」と思いようになりました。高1のときに英検2級を取得しました。将来、絵の道に進み、好きな英語も活したいと考えたのもこの頃です。
 高3で高校を辞めたとき、もっと自由に絵を描いて好きな英語が勉強できる高校をと探したら、インターハイスクールにたどり着きました。卒業すれば、アメリカ・ワシントン州の高校卒業資格が得られるのも英語の世界が広がるような予感がしました。
 さっそく編入した私を待ち受けていたのは、優しくて面倒見のいい担任(学習コーチ)と、ユニークな教育方針、そして自分で自由にコントロールできる自分の時間です。私はやっとマイペースの生活を取りもどした思いがしました。また将来に向かって、夢に向かって踏み出していく活力を手にしました。
 インターハイスクールの美術科目は、図書館から借りてきたデッサン本に習った手のデッサン、花を写生したものなど自分の作品を提出できます。実務学科は家庭料理を実習し、レシピと共に試食した人の評価を書いて提出するなど、とっても楽しく取り組むことができました。
 英語は、ビアトリクス・ポター原作の『ピーターラビット』の翻訳に挑戦したり、英語のテストを品川キャンパスで受けたり、結構大変でしたが楽しい思い出です。 また、自宅でやるストレッチや腹筋、ウォーキングや犬の散歩など、きちんと運動時間と内容を記録して生徒ページに報告すれば体育実技の単位として認めてくれるインターハイスクールの履修システムには、あまり運動が得意でない私は助かりました。
 インターハイスクール時代はアルバイトも地域ボランティアも単位科目としてカリキュラムに組み入れていました。不登校の小中生徒が通うフリースクールの地域ボランティアでしたが、自分よりも年下の子どもたちの話し相手をして「なぜ不登校になったのか」悩みを聞いてあげることは、自分自身の成長にも活かせると思いました。このような実体験の社会勉強も学校の実務科目の単位なるインターハイスクールの履修システムを利用したことで、自信をつけ「美術をシッカリ学習しよう」という気持ちを取り戻せました。

美大の卒業制作は写真

卒業後は横浜美術短期大学に進学しました。私がやりたいと思った「映像メディアデザインコース」があった学校を選びました。自宅の埼玉県の川口から横浜市青葉区の学校への通学は片道2時間かかりましたが、課題の取り組みで毎日時間が飛ぶような速さで過ぎていきました。
 美術短大で学んだデッサン、アニメや3D、WEBデザインやHP制作など、どれも刺激的で好奇心をくすぐるものばかりでした。特に映像の授業は、写真の面白さに魅了させられました。1年生の後半は、炭酸入りナチュラルミネラルウォーター「ペリエ」の広告用写真を撮るという課題が出て、高く評価してもらえたことで写真に対する興味は一気にアップしました。 卒業制作も、撮り溜めた写真をパソコンで加工し自費で製本しました。本のタイトルは『LIGHTS TOKYO』『LIGHTS EXPERIMENT』『LIGHTS COSMICCITY』。
ホームページ(http://www.emikosuzuki.com/)でも紹介しているので、ぜひ見てください。
この3冊を1冊にまとめたものも作り、さらに代表作品をA3に引き延ばしたポートフォリオも制作しました。卒展で本やパネルを展示したら、譲ってほしいという人まで現れて、初の写真集は美術短大における2年間の記念すべき集大成になりました。
  アートへの興味は尽きることがありません。いま私が一番やりたいことは、『ファインディング・ニモ』のような3Dです。大学時代は夏休みに「映画を100本観る」ということにも挑戦し、とにかく数えきれないほどの実写やアニメを鑑賞しました。その経験をもとに、近い将来私はハリウッドに渡って、フィルムスクールで劇場用のアニメを本格的に勉強したいと夢を広げています。





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